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目次
フリーランス料理人林直子のプロフィール
フリーランス料理人として活動する林直子(naokoamigo)のプロフィールページに来てくれて、ありがとうございます。
- 私の略歴、
- どんな人生を歩んできたのか?
- 結果、どんな人間になってしまったのか?
- これからやりたいこと、野望。
について書いていきたいと思います。
林直子のプロフィール①簡単な経歴
- 広島出身で、カープ好きな一般家庭の3人兄弟の末っ子として、生まれる。
- 広島で一番制服がださい、由緒ある中高一貫校の女子校に進学する。
- 高校2年の時に、みんなと同じ高校生活に違和感を感じ、ニュージーランドインターナショナルスクールに3年間留学。
- 20歳の時、『食』に携わって働きたいと、地産地消の和食料理屋に就職。
- 22歳の時、寿司も作れる料理人になろうと、金沢で2年就業。
- 日本全国を回り、東北ボランティアに2ヶ月行く。
- 九州の100名山に登る
- 24歳の時、オーストラリアの和食のお店、アジアンレストランで働く。
- スペインの巡礼路『カミーノ』700kmを歩く。ヨーロッパ周遊。
- 両腕骨折し、人生について思い悩み、市役所臨時職員、ウェブデザイナーの学校、栄養の勉強、ファイナンシャルプランナーの勉強など模索。
- 26歳の時、『自然の中で暮らしたい』と上高地のホテルで調理師として働く。
- 雪山で靭帯損傷。靭帯の移植手術をして、心も体も折れる。
- 失う物は何もない』と思って、ギリシャで就労する。
- 28歳の時、全国各地で働き、車でロードトリップしながら東北の山に登る。。
- 29歳に、『海外のアウトドアも楽しみたい!』と、ニュージーランドに10年ぶりに渡航、就労。
- 30歳で、自分の軸を持った、生き方を見つけたいと、フリーランス育成講座『いなふりに参加』
- 千葉のまるもで開催されている田舎フリーランス養成講座の専属料理人になり、受講生と講師に1ヶ月間夜ご飯、昼ごはんを作る。
- 田舎フリーランス養成講座は、各地で開催されているため、山梨の五番地、愛媛の大洲、福井の鯖江、千葉のいすみ市、でも料理を振る舞うように。
- 全国各地のゲストハウス、コワーキング、アウトドアフェスで料理を振る舞うようになる。
『自然の中で遊ぶ楽しさ』を経験し、より多くの人に、アウトドアの楽しさを広めたいと思っています。
林直子のプロフィール②自分のスキル
- 海外生活は5年以上。日本語と英語、両方で生きていけます。TOEIC900点。
- 翻訳のキュレーションサイトのライターをしていたので、翻訳、まとめ記事が書けます。
- 海外30カ国を旅したので、国籍に関係なく誰とでもコミュニケーションがとれる。
- 大体の国に友達がいるので、人と人をつなげれます。
- キャンプや山登りが好きなので、サバイバル能力が高く、どんな環境でも生き延びれるはず。
- オーストラリア、ニュージーランドの山事情、アウトドア事情、キャンプ事情に詳しいです。
- 美味しい食材があれば、色んなジャンルの料理を、どこでも喜んで料理します。
- ウクレレを弾いて、キャンプしたり、山登りしたり、海で泳いだり、自然の中でみんなで楽しく過ごせます。
- 基本明るいですが、ネクらでどん底な時期もあったので、悩んでいる人の気持ちに共感できます。
現在の仕事?!
2018年1月までニュージーランドの地元のレストランで調理師として働いていました。ニュージーランドにいる間は、仕事をしながら各地を車で廻るロードトリップをしていました。
その後、オーストラリアのタスマニアでも1ヶ月のロードトリップ経験。
タスマニアでオーガニック農園で労働力と、食事・住まいを交換するファームに滞在し、『稼がなくても、不安なく、楽しく生きる方が大事』と感じました。
林直子のプロフィール④ SNS発信ツール
経歴詳細
あんまり遊んでいなかった子供時代の欲求不満が遊びまくる大人へ成長させる…
コミュニケーションツールとして欠かせないウクレレに出会った中学時代
日本の価値観をぶっ壊されたニュージーランドの寮生活3年
中高一貫の厳しい校則のあった女子校で、同じ制服、同じ方向を向いて授業を聴いている高校生活に疑問を感じました。
高校2年の時、自分でこっそり試験を受けて、合格したので全寮制のニュージーランドのインターナショナルの高校で3年間暮らすことに。
留学中は、やはり英語が最初からで来た訳ではなく、劣等感、挫折感を感じる日々でした。
英語が完璧にできなくても、へたくそな和食を作ることで友達に喜んでもらえて感激する、という体験から、『ちゃんと和食を学びたい!』と思うようになりました。
食に関わって生きていきたい!と進学から料理人へ進路変更
食に関わる仕事で生きていきたいと思い、栄養士になるか?料理人になるか?と迷っていました。
結局、進学が決まっていたにもかかわらず、体力がある若いうちに修行をしようと、広島の料理屋さんで修行することに。
しかし、女という理由で1年半ほど料理させてもらえなかったので、見切りを付けて辞めました。
『海外で日本料理に携わるなら、寿司もできなきゃ。』と思い、日本料理も寿司も提供している寿司割烹の店で2年働きました。
ワーホリに行くために仕事を辞め、東北へ震災ボランティアへ行き、東北中の震災の被害を見て回りました。
料理の仕事で世界に暮らし、新たなジャンルの料理と出会う
オーストラリアのハミルトン島という珊瑚礁の綺麗なリゾートの島で、アジアンレストラン立ち上げスタッフとして働きました。
暗黒のひきこもり時代①
オーストラリアで通勤中に、自転車でこけて両手首骨折して、なにもできなくなり、体が資本の仕事を続けることへ疑問を持ちました。
海外で働く夢もかなったことだし、違うことをやってみようと、帰国してから色々なことを試しました。
スペイン巡礼の旅、専門学校受験、役所臨時職員、ウェブデザイナーの学校など、やってみましたが、どれもしっくりきませんでした。
失う物は何もない。上高地の社員食堂で料理する喜びを思い出す
信州に憧れがあったので、上高地のホテルで再び調理師として働くことに。
ホテルの料理を美味しいと思えず、仕事に全くやる気が全く出ませんでした。
その社員食堂で、娯楽のない山奥で食事を楽しみにしているスタッフのためにまかないを丁寧に作った所、好評で専属の社員食堂の料理人になりました。
再び暗黒のひきこもり時代②
長い間誰にも相談せず、一人で悩んでいました。
宿泊費、航空券代、怪我が怖いので生命保険まで!つけてくれるという条件で、ギリシャのリゾート地にあるWESTINHOTELの中の高級和食屋に就労しました。
多いに遊び、多いに働いたニュージーランド
20代最後にワーキングホリデーで10年ぶりにニュージーランドへ。
仕事は地元のカフェレストラン、バックパッカーのエクスチェンジ、カフェレストラン、観光ガイド、ケータリング、キウイ農園剪定など、今までやったことのないことをいろいろ試しました。
今年はやりたかったこと、行きたかった場所、思うがままに進んでいきたい
ニュージーランドの人の価値観は、『生活を思う存分楽しむことが人生で一番大事なこと』であり、時間もお金も人生を謳歌するために使っていました。
車をキャンピングカーに改造して、サーフボード、カヤック、マウンテンバイク、SUPを積んで旅に出かける年配のご夫婦。
『ニュージーランド好きなら、タスマニアもいいよ?』と勧められ、長い間行きたかったタスマニアにも寄って帰ることに。
『心と体が健康になれるよう』に、行動しようと決心
今まで、何度も仕事を変え、場所を変え、精神状態が不安定になったこともありました。
なおメシ
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超面白かったす!最高♪
両腕骨折、靱帯損傷ワロタw
めえっちゃ真剣に書いたプロフィール、真面目すぎるかな?と思ったんですけど、カルロスさんに笑顔を届けられたという事でよしとします!カルロスさんに超面白かったって言ってもらえたので、両腕骨折もよしとします!全身金属片だらけです。